HIGEさんプロフィール

 

 自己紹介

生年月日: 19××年1月×日(??歳)
出身地: 関東地方のとある県
家族:妻・娘二人・長女のご主人そして孫(男の子)

好きなもの:チョコレート・スポーツ観戦(サッカー、野球、バスケなど全般)

好きなマンガ:スラムダンク

特技:アニメソング

座右の銘:「知識より意識、資格より自覚」

好きな言葉「あきらめたら、そこで試合終了ですよ。」 

職業:消防職員(救急救命士)

 

「HIGEさんのスポーツ救命救急」HP誕生エピソード

2002年12月某日、ミニバスケットボールの審判員だった私は、会場で発生した審判員の心肺停止に遭遇。他の審判員と協力し直ちにバイスタンダー(すぐ近くにいる人)CPR(心肺蘇生法)を開始しました。

運よく、付近を通行中だった救急隊がいち早く現場に到着、救急隊による除細動(電気ショック)により、心拍が再開、1ケ月の入院期間を経ましたが、審判員の方は完全社会復帰を果たすことができましたが、この時の日本では、まだ「バイスタンダーCPR」の実施率はとても低く、一般市民がAED(自動体外式除細動器)を使うこともできず、AEDという言葉すら知られていない時代でした・・・・

 

「今回はいくつもの幸運が重なったけれど、もしアメリカのようにAEDを一般市民に使えたなら、バイスタンダーCPRをみんながやってくれるようになれば・・・それが当たり前になれば、もっともっと救われる命は増えるはず。」そう思った私は、当時(今でも)世界最高の救命率を誇るアメリカ合衆国のシアトルが、どうやって今日に至ったのか?その理由をどうしてもこの目で見たくなり、2003年10月、シアトルに渡りました。

シアトルでは、小学校の頃からBLS(心肺蘇生法などの一次救命処置)を学び、市民、消防機関、シアトル市のコラボレーションにより、人口の6割近くの人がBLSに関する知識を有しており、「CPR(心肺蘇生法)」という言葉は小学生でも知っていました。

バイスタンダーCPR(すぐ近くに居合わせた人による心肺蘇生法)の実施率は、当時の日本ではわずか5%未満なのに対し、シアトルでは実に50%以上、救命率は日本の7%未満に対し、年平均で30%という非常に高いもので、救急車が到着するまでの「プレホスピタル」(病院前)の限られた大切な時間を、一般市民の人たちが有効に使い、「みんなで命を守り、みんなで命を救う」という体制ができていることが日本との決定的な違いであることを目の当たりにしました。

 

日本ではなぜ、バイスタンダーCPR実施率が低いのか?

これは「できない」のではなく、「どうしたらよいかを知らないからできない」という人が多いからだとシアトルでの体験を通じて感じたことから、「まずは知ってもらうこと」を目的に、当時バスケットボールを通じて知り合った「バスケットボールの家庭教師」(現エルトラック)代表の「よしかずさん」のご協力を頂き「HIGEさんのスポーツ救急救命」HPを開設し「シアトル救急レポート」の掲載をはじめ、「AED」や「BLS」の重要性の紹介からスタートしました。

 

それから間もなく、HPをご覧くださった「命のバトン」のさくらさんや、当時まだ一般に広く知られていなかった「心臓震盪」の予防啓発活動を行っていた「心臓震盪から子供を救う会」の皆さんとの出会いと交流が始まりました。

出会いは、また新しい出会いを生み、全国各地で同じ想いを持って活動しているたくさんの方々とのネットワークが広がっていきました。このHPは、そうした多くの皆さんに支えられ、育てて頂きながら、今日に至っています。このように、たくさんの皆さんから支えて頂いていることを忘れずに、皆さんに有用な情報を発信していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(HIGE)

MENU

★2015・リテイク版

アメリカ救急見聞録

★今後、定年を迎える多くの救急救命士の社会貢献についての提言です。